大判例

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東京高等裁判所 昭和56年(う)1463号 判決

裁判所書記官

石井正男

本籍

静岡県伊東市川奈九五四番地

住居

川崎市多摩区百合丘一丁目一番二六号

会社役員

西原浩

昭和一六年四月二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五六年八月七日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官宮本喜光出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月及び罰金一、二〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金三万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人渡名喜重雄名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官宮本喜光名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、量刑不当の主張であるが、所論に対する判断に先だち、まず職権をもって判断する。

原判決は、罪となるべき事実として、原判示第一、第二の各事実を認定し、法令の適用として、「いずれも所得税法二三八条、一二〇条一項三号(それぞれ懲役刑と罰金刑を併科する)」と摘示したうえ、右各罪が刑法四五条前段の併合罪に当るものとして処断していることは判文上明らかである。ところで、所得税法二三八条一項の規定は、脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律(昭和五六年法律第五四号)二条により、その法定刑中懲役刑につき、「三年以下」とあるのを「五年以下」と改正され、これが昭和五六年五月二七日から施行された。したがって、原判決時点では、本件各所為は、犯罪後の法令により刑の変更があったのであるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法によって処断されるべきところ、原判決は、単に所得税法二三八条一項と摘示することにより、重い裁判時における同条項を適用して処断したものといわざるを得ない。してみれば、原判決には法令の適用を誤った違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点で破棄を免れない。

よって、所論に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従いさらに次のとおり判決する。

原判決の認定した原判示第一、第二の事実に法令を適用すると、被告人の各所為は、いずれも行為時においては昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては右改正後の同条項に各該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当るから、刑法六条、一〇条により軽い改正前の所得税法二三八条一項により懲役刑及び罰金刑(多額については所得税法二三八条二項を併せて適用する。)を併科することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い原判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により原判示第一、第二の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で処断すべきところ、本件は、二年分に亘る実際所得額が八、四六七万四、二〇一円もあったのに、九九八万八、九二八円の所得しかなかった旨虚偽の申告をして、合計七、四六八万五、二七三円の所得を逋脱し、その結果所得税合計三、七六六万八、四〇〇円を免れたという事案であって、その逋脱率が高いこと、被告人は、昭和四八年六月からヌード劇場の経営に乗り出し、昭和四九年一〇月には公然猥褻幇助罪で罰金一〇万円に、昭和五一年一〇月には公然猥褻罪で懲役四月、三年間執行猶予(同年一〇月二九日確定)に処せられたことがあるにもかかわらず、その後も他人名義で右劇場を経営し、その他の収入と合せて高額の所得を挙げておりながら、本件脱税を図ったものであって、その犯情が悪質であるうえ、本件は右執行猶予期間中の犯行であること、本件につき国税当局の査察を受けた当時、本件所得税を納入するだけの資力が十分あったのに、これを他の事業に流用したため回収不能に陥った結果、いまだに本件税金を完納していないこと、これらの事情に徴すると、被告人の刑事責任は重いといわなければならないが、一方、被告人は、本件について十分反省し、原判決後に本件所得税の一部を納付したほか、残余についても分割納付すべく鋭意努力中であることなど、所論指摘の被告人に有利な事情を十分考慮して、被告人を懲役六月及び罰金一、二〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金三万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 和田保 裁判官 新田誠志)

控訴趣意書

被告人 西原浩

右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴趣意を左のとおり述べます。

昭和五六年一〇月一日

弁護人

弁護士 渡名喜重雄

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

一、原判決の認定した事実には全く異論がありません。ただ刑の量定については、以下の理由をもって不服を有するものであります。

二、原判決は被告人に対し、懲役八月の実刑並びに一、二〇〇万円の罰金を宣告いたしました。

被告人が過去に経営したヌード劇場からの所得を不当に隠ぺいした事、右ヌード劇場の経営に当たって公然猥褻罪の前科があること等確かに被告人には拭い去ることのできない汚点がいくつかあることは免れ得ないところであります。特に被告人に於て本件犯罪が発覚し、昭和五五年一二月国税局より滞納総額四、一二六万六五〇円、重加算税一、一二九万四、七〇〇円の計六、四八七万六、八〇〇円の納付を請求せられて以来今日まで自主納税五〇〇万円及び源泉還付金の充当で合計一、二三二万一、四五〇円しか納付しておらず、未だ五、二五五万五、三五〇円が滞納となっている事実は謂わば示談未成立と同様犯罪事実の情状に於て被告人に著しく不利益な点であることを認めないわけにはまいりません。

当弁護人に於ても右未納税金の完納証明を御庁に差し出すことができたらと唯々自らの弁護状況の不運を歎くばかりであります。

昭和五五年一月、国税局の特別調査が被告人について開始された当時、被告人は運用中ではありましたが確かに偽名預金等の形で一億数千万円の自分の自由になる現金を保有していたことは間違いありません。

これ等は全て、国税局によって調査せられ明らかとなっているところであります。ところが、当時被告人は被告人が実質的に支配権を有する西栄商事株式会社という不動産会社、西原商事株式会社という金融会社を有し、右偽名預金を担保にして市中銀行から融資を得る等の形式でこれら二社の事業資金をまかなっていたものであります。

そこで被告人は、このように運用中の金は全て国税局によって差押えられ使用することができなくなるのかとの危惧を抱き当局に相談したところ、右資金は全て、国税局が最終的な査定を終え未納税額の納付命令を出すまでは自由な金であって被告人の運用を一切妨げるものではないという回答を得たものであります。

被告人の資金運用は従来、西栄商事の不動産運用については市中銀行の融資金により土地に対する投資を為し、西原商事の金融部面で自己資金を運用するという方式を用いていたものでありますが、被告人は、やがて多大の国税、地方税等の納付をせねばならぬ身にとって、唯これらの投資機構をより活性化し、多大の収益を揚げる以外に有効な方法を見出し得なかったものであります。

当時の土地資産の運用状況は主なるものとして横浜市中区山手町一一九番一一乃至一五の宅地合計三七二・七平方メートル(約一一二・七坪)を三・三平方メートル当たり八五万円で昭和五四年七月買入れ、これらを担保に市中銀行から一億一、〇〇〇万円を借り入れ、このうちから買受代金を支払っていたものであります。また、横浜市神奈川区三沢上町一三六番二乃至一三六番四、一〇五番一の宅地山林合計一、三五五・四二平方メートル(約四一〇坪)を一億六、〇〇〇万円で昭和五三年六月頃買入れ右購入資金も銀行借入れのうちからまかない、抵当権がこの土地の上に設定されて手持となった状態でありました。

被告人の自宅も約八〇坪の宅地を有するものでありましたが、これも五、〇〇〇万円の借入れ金の抵当に入っておりました。

昭和五五年の国税局の調査の行われた期間、不幸にもその頃から不動産業界に景気の陰りが見え始めたことと、業界自体に被告人が脱税事犯として調査されたという情報が広まったことにより、やがては被告人の投売りか公売が行われるという見込みが一般に行われるようになり、被告人の主たる不動産投資である右二つの物件が手持ちとなってしまい、毎月が銀行に対する支払利息に追われる状態に見舞われることとなったのであります。

かくて右不動産投資の負担はことごとく被告人の金融部門に於る収益ないしは自己資金の負担と化したのであり、被告人は物件の売却に努力しながらも金融部門により退勢の挽回を図ろうと一種のあせりを伴った努力を傾けるに至ったのであります。

金融部門は大口の効率のよい借り手を探すという方面に勢い赴くこととなったものでありますが、このうち横浜市戸塚区戸塚町四、八〇八番地影取興産株式会社に対する手形貸付残が昭和五五年一〇月現在一億一、五〇〇万円にも及んだのであります。同年一〇月末右貸付先が不渡を出して倒産、内三、二〇〇万円は保証人から現金で回収いたしましたが、七、二〇〇万円は右影取興産社長個人の所有住宅の三番抵当を担保に貸し出したため結局回収がはかれず、被告人としては他の顧客への貸付金を整理してほとんどこれ一本に集中化したためにとたんに事業経営全体に破たんを生じたものであります。

昭和五五年一二月国税局の調査が完了し約六、〇〇〇万円に昇る脱税の納付を命ぜられた時点に於て、先の手持不動産は持ち腐れとなっており、右の如き次第で銀行金利負担に耐えかねる内部事情にあったのであり、ともかく手持不動産を高額に処分してその納付に充てるべく努力を重ねて来たのであります。

然しながら、被告人の努力は一向に報われるところがなく、被告人は遂に金利負担に耐えかね本年に入ってからその手持不動産をほぼ買値で処分せざるを得なくなり、山手の土地、三沢の土地、且つは自宅も全て処分し、ほぼ全てが銀行への返済へと消えたものであります。かくて右不動産の処分金のうち自宅を五、五〇〇万円で売ったときの五〇〇万円の余剰のみがかろうじて振り向けられ、あとは七〇〇万円の還付金(源泉徴収)が充当せられたのみなのであります。

三、被告人は現在、西栄商事、西原商事の旧来の事業を全て整理し、川崎市多摩区にある小田急線新百合ケ丘駅前のビルの一室を借り受け、ここにサンテノという名の喫茶店を開業したものであります。

被告人は右全ての事業の整理の結果、二、〇〇〇万円余の現金を留保することができました。被告人は罰金の一、二〇〇万円はこの資金のうちから支払うべく覚悟を十分に致しております。このサンテノは約一、〇〇〇万円の保証金を入れ、毎月四〇万円の家賃を支払う契約で借りているのでありますが、現在内装等に借り入れ金等の投資を為し約一〇人の従業員を使って経営をいたしており、どうにかこの周辺が学生街のために収益をあげる見込みを付けうる営業状態に入ったと思われるものであります。被告人はその経歴を見てもわかる通り本来水商売に適性を有する者であり、おそらくはこの事業を成功に導きうるものと当弁護人は確信いたすものであります。

被告人本人と弁護人は目下、国税局に対し、いかに右滞納税金の納付を行うべきか次の通りの折衝を行っております。

〈1〉 先述の影取興産に対する七、二〇〇万円のこげつき債権については、幸い右会社の取締役中山清氏が資産家であり、これに商法第二六六条の三の責任を負担せしめうるとの見込みの下にこれに対する訴を提起いたしました(横浜地方裁判所昭和五六年(ワ)第二一二二号第三民事部担当)。

〈2〉 先の影取興産から、現金三、二〇〇万円を回収した際に戸塚の方面の土地を七〇〇万円と評価して代物弁済を受けたものがあり、これは道路付の問題のある土地であるが、これを物納乃至は担保権の設定をする。という三つの資金源を提示し、当面の間このようなことで被告人の誠意を認めてもらえないだろうか、という申し出を為している。

税務当局は、完納証明書乃至は納付書という形での書証しか出さないのが原則であるが尚検討の上被告人の誠意を評価する何らかの方法を模索すべく努力するとのことであり、おそらく御庁に於る公判までに何らかの結果を顕出することができるものと期待している次第であります。

四、右述の如く被告人は、その特異な事情によって自己の脱税額を完納する意思にかかわらず即時にこれを行うことのできない状態にあります。然しながらその努力を決して怠っているものではありません。

重加算税を除いた約四、〇〇〇万円の本税については、年率一四、六パーセント(日歩四銭)の延滞金を生じ月額約五〇万円にのぼるわけであり、被告人の当面月額五〇万円を支払うという申し出はほぼこの額にしか見合わぬことになりますが、被告人の新たに経営するサンテノ喫茶店はこの八月に開店したばかりであり、その収益力についての明確な資料にとぼしいため当面確実に手形を切れるのはこの額が精一杯であるとする経理上の観点から導かれた数字であり、被告人としては何とか収益力をあげ一日も早く本税及び地方税もふくめた重圧を払拭すべく努力を重ねなければ一生更生することができない宿命に立たされているのであります。

五、被告人の量刑について、懲役八月の実刑という点だけが、本件控訴により被告人並びに弁護人の御庁による救済を求めてやまない一点であります。

被告人に実刑を科し刑務所に収容することによって被告人の社会的経済的活動を断つことは単にその間の被告人の収益能力を停止するだけに止まらず、現在行いつつある再起更生の事業の存立そのものを根底から覆えすこととなり被告人の事業能力を絶息せしむることに通ずるものであります。

それは単にその間貴重な国民の税金を使い被告人を刑務所に養うという出費に止まることなく、被告人からの税の徴収の機会をも国は実質的に失うことにも通ずるものでありましょう。

確かに脱税は憎むべき犯罪であり、被告人の反省を促す上からもこれを厳罰に処する必要があるという論理は正当でありましょう。然し被告人は脱税がいかに恐ろしい犯罪行為であり、これを犯すべきでないかという深い反省を既に国税局の処分によって、また原審の判決によって肝に銘じていたしているのであります。

しかのみならず被告人は、右国税ばかりではなく、地方税もあわせますと総計一億にも上る負債をこれから国や地方自治体に弁済しなければならぬということにより、実質的な社会的制裁を受けているのであります。

また当然被告人には罪のない家族もおり、その生活は一重に被告人の双肩にかかっているわけでありますが、被告人の懲役刑実刑の執行はこれらの者に与える影響も決して小さな波紋ですむわけがないのであります。

このような次第で、原判決の懲役刑実刑判決は被告人についていささか過酷に過ぎるものであり、執行猶予付に改められて然るべきものと考えられる次第であります。

何卒御庁による御恩情ある判決を賜るべく右述のとおり控訴趣意を陳述いたします。

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